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2011年9月27日 (火)

日本山岳会信濃支部歴代支部長

初代/槇有恒(会員番号341)1947(昭和22)年就任 、第2代/尾崎喜八(会員番号1419)1949(昭和24)年就任、第3代/高山忠四朗(会員番号2702)1952(昭和27)年就任、第4代/塚本茂樹(会員番号4450) 1968(昭和43)年就任、第5代/奥原教永(会員番号4711) 1974(昭和49)年就任、第6代/蒲生明登(会員番号4505) 1984(昭和59)年就任、第7代/赤羽孝一郎(会員番号3802) 1988(昭和63)年就任、第8代/田中弘美(会員番号5230) 1994(平成6)年就任、第9代/山浦源太郎(会員番号4930) 1998(平成10)年就任、第10代/中野和郎(会員番号4987) 2002(平成14)年就任、第11代/金子丞二(会員番号6511) 2006(平成18)年就任、第12代/飯村富彦(会員番号8768) 2010(平成22)年就任

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ウェストン祭の歴史

わが国近代登山の父と呼ばれ、日本の山を母国・英国に紹介したウォルター・ウェストン(1861~1940) の業績を顕彰するため、1937(昭和12)年8月26日、山岳会員佐藤久一朗が作成した額面型の浮掘胸像(レリーフ)が上高地に取り付けられました。

Westonzou_3 昭和12年設置の初代のウェストンレリーフ

しかし第二次大戦で英国は敵国となり、このレリーフは取り付けからわずか5年余りで取り外されることになりました。松本の石工、金子光雄(父栄蔵とともに取り付けも担当)と助手の原克巳氏がレリーフを取り外し、山岳会員の交野武一と茨木猪之吉が虎ノ門の山岳会ルームに持ち帰りましたが、1945(昭和20)年5月25日の罹災のため焼損してしまいました。

第1回ウェストン祭 1947(昭和22)年6月14日(土) 雨

焼け残ったレリーフを後年彫刻家の松浦藤太郎が修復し、1947(昭和22)年6月14日(土)、元の場所に戻されました。このウォルター・ウェストン記念碑の復旧式が現在も毎年開催されているウェストン祭の記念すべき第1回でした。

尚、この額面型レリーフは、1965年に現在の円型のレリーフに作り替えられました。同年の第19回ウェストン祭で、この新レリーフの除幕式が行われました。現在も続けられている記念参加章の制作は第4回(1950年、唐桧の実)から記念手拭の制作は第6回(1952年、大正池の枯木と穂高連峰)から、ほぼ実費で頒布されています(第6回は参加章は作られませんでした)。

Tenugui 最初の記念手拭

またウェストン祭記念山行「徳本峠越え」はウェストン生誕100年の第15回(1961年)から続けられています。

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日本山岳会信濃支部の歴史

日本山岳会発足
1905(明治38)年10月14日、小島久太(烏水・当時31歳)が中心となり、武田久吉(当時22歳)、高野鷹蔵(ようぞう・当時21歳)、山川黙(しずか・旧姓河田・当時19歳)、梅沢親光(当時20歳)、城数馬(当時41歳)、高頭仁兵衛(式・当時28歳)らによって日本山岳会の前身である「山嶽会」が発足しました。もちろん我が国近代登山の父と呼ばれる、英国宣教師・ウォルターウェストンの示唆と推奨が、大きく働いたことは言うまでもありません。

信濃山岳研究会の発足
ウェストンが3度目の来日をはたした1911(明治44)年11月、信州在住の登山家たちによって「信濃山岳研究会」が結成されました。この「信濃山岳研究会」には、長野師範学校卒業生の矢沢米三郎、河野齢蔵、小田四十一、田中貢一らの「信濃博物学会」が母体となり、100人余りの県内在住者が集まりました。会長は当時長野県松本女子師範学校長であった矢沢米三郎で、副会長は同校の教頭だった河野齢蔵でした。

信濃山岳会への発展
1919 (大正8)年1月に「信濃山岳研究会」は、組織改革を行い、会則を制定しました。また同年7月15日には名称を「信濃山岳会」へと改称しました。昭和初期に上高地を中心とする北アルプス一帯の国立公園指定に際して、同会の活躍はきわめて顕著でした。

信濃支部発足の頃
1947(昭和22)年6月22日、「日本山岳会信濃支部」が結成されました。初代支部長には槇有恒が就任し、常任委員に百瀬慎太郎等9人を選任しました。当時の本部会費は年間30円、支部会費は20円でした。

支部報第1号の発行
1948(昭和23)年5月25日発行。同号巻頭には設立の意図について、次のように記載されている。

「支部設立に際して」

 長野県下の会員が、此度の支部結成によって研究や計画や又は交友親睦の方面にも多大の便宜を得られデモクラティックな気持で運営されていく限り、山岳を手近に控えておる関係上名実共に充実したものに成長して行くであろうことは疑ありません。殊に此の日本アルプス其の他の立派な山岳に取囲まれておる立場は、単に県内会員相互の関係だけに止まらず、より広いそして直接的な関係を各方面にもつものと考えられます。私等は国土の自然を愛し、山岳を愛する者の一員として、山岳に関して惹き起る種々の問題に対し、公正と信ずる意向を積極的に働きかける立場に置かれておると思います。個々の問題毎に山岳の開発と保存との限る事柄であるとか、或は完全な山岳博物館を建設するとか、何れを取上げても困難の少ない重要なものばかりでありまして、山岳のお膝下であるだけにその処置なり報告なり計画は各方面に影響するところが大きいと思います。又欧米の風光地の如く、自然の愛護を説くことを要せず、愛護の精神が常識の水準に迄なっておる処に較べて、わが国の斯方面は、遺憾ながら考えも方針もちぐはぐな状態なので、我等としては国土百年のために微力を尽さなければならないと思います。次に今後支部より発表される研究であるとか、其の他の成果は、山岳の清新な香を豊富にもつものであろうことを期待します。そして十年二十年の後には、信濃の山岳地帯に美しい境地を作り上げるに大いなる寄与をなすものと信ずるものであります。

12ページからは第1 条から付則第14 条にわたる「日本山岳会信濃支部規定」が掲載されている。その第3 条には、7 項目の事業内容が具体的に示されている。

1.支部機関紙の発行

2.登山に関する指導並に研究

3.山小屋の建設並に管理

4.山案内人の育成並に認定

5.登山事故の防止並に救護

6. 山岳の人為的破壊に対する擁護

7.其の他登山界の向上に関する各般の事項

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