ウェストン祭の歴史
わが国近代登山の父と呼ばれ、日本の山を母国・英国に紹介したウォルター・ウェストン(1861~1940) の業績を顕彰するため、1937(昭和12)年8月26日、山岳会員佐藤久一朗が作成した額面型の浮掘胸像(レリーフ)が上高地に取り付けられました。
しかし第二次大戦で英国は敵国となり、このレリーフは取り付けからわずか5年余りで取り外されることになりました。松本の石工、金子光雄(父栄蔵とともに取り付けも担当)と助手の原克巳氏がレリーフを取り外し、山岳会員の交野武一と茨木猪之吉が虎ノ門の山岳会ルームに持ち帰りましたが、1945(昭和20)年5月25日の罹災のため焼損してしまいました。
第1回ウェストン祭 1947(昭和22)年6月14日(土) 雨
焼け残ったレリーフを後年彫刻家の松浦藤太郎が修復し、1947(昭和22)年6月14日(土)、元の場所に戻されました。このウォルター・ウェストン記念碑の復旧式が現在も毎年開催されているウェストン祭の記念すべき第1回でした。
尚、この額面型レリーフは、1965年に現在の円型のレリーフに作り替えられました。同年の第19回ウェストン祭で、この新レリーフの除幕式が行われました。現在も続けられている記念参加章の制作は第4回(1950年、唐桧の実)から、記念手拭の制作は第6回(1952年、大正池の枯木と穂高連峰)から、ほぼ実費で頒布されています(第6回は参加章は作られませんでした)。
またウェストン祭記念山行「徳本峠越え」はウェストン生誕100年の第15回(1961年)から続けられています。
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